人間を理解するとは、どういうことか
私たちは、他者の言葉や行動から、その人の気持ちや考えを理解しようとします。しかし、同じ出来事を経験しても、人によって感じ方は異なります。また、自分自身の気持ちでさえ、うまく説明できないことがあります。
「人間を理解する」とは、そもそもどういうことなのでしょうか。
こうした問いは、古くから哲学の重要なテーマでした。古代ギリシャの哲学者たちは、人間の魂や理性、感情、幸福について考察しました。近代に入ると、デカルトは心と身体の関係を問い、カントは人間が世界をどのように認識するのかを考えました。
現在では独立した学問として確立している心理学も、こうした哲学的な問いを背景として発展してきました。
19世紀後半になると、心理学は実験や観察を通じて心の働きを研究する科学として独立していきます。1879年、ヴィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学に実験心理学の研究室を設立したことは、その象徴的な出来事として知られています。
その後、心理学は行動、認知、感情、記憶、学習など、多様な領域で研究成果を積み重ねてきました。今日では脳科学や医学とも密接に関係し、人間の理解に大きく貢献しています。
しかし、心理学が科学として発展したことで、哲学が問い続けてきた問題のすべてが解決したわけではありません。むしろ、科学的な説明が精緻になるほど、そこからこぼれ落ちるものについて考える必要があるように思います。
科学的に説明することと、人間を理解すること
心理学において、実証的な研究は重要です。例えば、ストレスが人間の認知や感情、身体にどのような影響を及ぼすのか、あるいは特定の心理的支援がどの程度有効なのかについて、科学的な知見は私たちに多くのことを教えてくれます。こうした研究成果に基づいて支援方法を検討することは、専門的なカウンセリングにおいて欠かせません。
一方、実際に一人の人間と向き合う場面では、科学的な知識だけでは答えられない問題に出会います。例えば、職場で強いストレスを感じている人がいたとします。
心理学の知識によって、その人に生じているストレス反応や認知の特徴を説明することはできるかもしれません。しかし、その人がなぜその仕事を続けようとしているのか、どのような責任を感じ、何を失うことを恐れているのか、その経験が本人にとってどのような意味を持っているのかは、一般的な知識だけでは理解できません。
ここには、科学的な説明と個別の人間理解という、異なる二つの営みがあります。もちろん、この二つは対立するものではありません。科学的知識は人間を理解するための重要な手掛かりになります。しかし、その知識を目の前の一人の人間に当てはめるだけでは、十分な理解に至らないこともあるのです。
現象学 ― 経験そのものに目を向ける
こうした問題を考えるうえで、哲学の「現象学」は興味深い視点を提供します。現象学を確立したエトムント・フッサールの思想は、しばしば次の言葉によって表現されます。
「事象そのものへ!」(Zu den Sachen selbst!)
既存の理論や先入観によって物事を理解する前に、まず経験そのものに立ち返ろうとする姿勢です。
例えば、ある人が「会社に行くのが怖い」と語ったとします。私たちはその言葉から、職場の人間関係や業務上の負担など、さまざまな原因を推測するかもしれません。しかし、本人にとっての「怖い」とは、どのような経験なのでしょうか。
上司と顔を合わせることへの恐怖なのか、仕事で失敗する不安なのか、それとも自分の存在価値が失われていくような感覚なのか。さらに、その人自身にも、まだ明確に言葉にできない何かがあるかもしれません。
現象学的な視点から考えると、私たちは最初から原因や意味を決めつけるのではなく、その人が世界をどのように経験しているのかを理解しようとする姿勢を求められます。この視点は、カウンセリングにおける他者理解とも深く関係しています。
カール・ロジャーズは、心理療法における人格変化の条件として、クライエントの内的照合枠に対する「共感的理解」を重視しました(Rogers, 1957)。相手を自分の価値観から評価するのではなく、相手自身の経験世界に接近しようとする姿勢です。
ただし、相手の体験を理解しようとすることと、実際に理解できていることは同じではありません。相手の言葉を丁寧に聴いていても、私たち自身の経験や価値観によって、その意味を解釈している可能性があります。他者を理解することには、常にこうした難しさが伴います。

メルロ=ポンティ ― 心は身体から切り離せるのか
もう一つ、心理学と哲学の接点として考えたいのが、身体の問題です。私たちは日常的に「心と身体」という言葉を使います。この表現は便利ですが、心と身体を別々の存在として捉えてしまう危険もあります。
実際には、人間の心理的な経験は身体と密接に結びついています。緊張すれば呼吸が浅くなり、不安を感じれば胸が苦しくなることがあります。反対に、身体を動かしたり、環境が変わったりすることで、それまでとは違った気持ちになることもあります。
哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、『知覚の現象学』(1945年)において、次のように述べています。
「身体は、私たちが世界をもつための普遍的な媒体である。」(Le corps est notre moyen général d’avoir un monde./筆者訳)
身体は、心の命令に従って動く単なる道具ではありません。私たちは身体を通じて世界に関わり、その中で意味を見いだしています。この視点からすれば、心理的な経験を思考や感情だけに分解して理解することには限界があります。
例えば、不安について語るとき、その人が何を考えているのかだけでなく、どのような身体感覚を伴い、どのような環境の中でその不安を経験しているのかも重要になります。
さらに、私たちの経験は静止しているわけではありません。会話の途中で何かに気づき、身体の緊張が変化し、それまで思いもしなかった言葉が生まれてくることがあります。人間の経験は、絶えず変化し続ける過程でもあるのです。

ハイデガー ― 人間は環境の中で生きている
身体の問題をさらに広げると、人間と環境の関係に行き着きます。私たちは、一人ひとりが独立した心を持ち、その心が外部の世界に反応しているように考えがちです。しかし、人間は最初から他者や環境との関係の中で生きています。
家庭、職場、地域社会、経済的な状況、他者との関係などは、単に心理に影響を及ぼす外部要因というだけではありません。それらは私たちの日々の経験や行動、自己理解を形づくる条件でもあります。
哲学者マルティン・ハイデガーは、『存在と時間』(1927年)において、人間の存在を「世界内存在」という観点から考察しました。これは、人間を世界から切り離された存在としてではなく、最初から世界との関わりの中にある存在として捉える考え方です。
この視点は、現代のカウンセリングを考えるうえでも重要だと思います。例えば、過大な業務を抱えて苦しんでいる人に対して、認知や感情への働きかけを行うことには意味があります。
しかし、業務量が本人の能力や利用できる時間を大幅に超えている場合、心理的な対処だけでは問題が解決しないことがあります。本人が自分の考え方を変えたとしても、職場の状況が変わらなければ、再び同じ困難に直面するかもしれません。
その場合、必要なのは心理的支援に加えて、業務の調整や役割の変更、組織的な対応なのかもしれません。これは、カウンセリングの価値を否定するものではありません。むしろ、心理的な問題を本人の内面だけに閉じ込めず、その人が置かれている状況を含めて理解することが重要だということです。

ジェンドリン ― 言葉になる前の経験
哲学とカウンセリングの関係を考えるうえで、ユージン・ジェンドリンの仕事は特に興味深いものです。ジェンドリンは哲学を専門としながら、心理療法の研究と実践に深く関わった人物です。彼はカール・ロジャーズとともに心理療法の研究に取り組み、後にフォーカシングという方法を発展させました。
ジェンドリンが注目したのは、言葉として明確になる以前の、身体的に感じられている経験です。私たちは、自分が何を感じているのかを、必ずしも最初から明確な言葉で理解しているわけではありません。
何か気になることがあるのに、うまく説明できない。言葉を探しているうちに、突然「そうだ、これが言いたかったのだ」と感じる。こうした経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。
ジェンドリンは1993年の論文『Three Assertions About the Body』で、次のように述べています。
「フェルトセンスの全体を言葉にすることはできない。」(But the whole felt sense cannot be put into words./筆者訳)
フェルトセンスとは、ある状況について身体的に感じられている、まだ十分に言語化されていない意味のまとまりを指します。この言葉は、カウンセリングにとって重要な問題を提起しています。
私たちは、言葉を通じて他者を理解しようとします。しかし、言葉として表現されたものが、その人の経験のすべてであるとは限りません。ただし、ジェンドリンは言語化そのものを否定したわけではありません。
むしろ、身体的に感じられている意味に即して言葉を探し、適切な表現が生まれることで、経験そのものが新たに展開する可能性を重視しました。さらにジェンドリンは『プロセスモデル』において、身体
と環境を切り離して考えるのではなく、両者の相互作用から生命や経験の過程を理解しようとしました。
ここでは、哲学が心理療法に理論的な背景を与えるだけでなく、心理療法の研究や実践から生まれた問いが、新しい哲学の展開にも結びついています。心理学と哲学は、一方が他方に知識を提供するだけの関係ではないのです。

アドルノ ― 概念によって人間を理解することの限界
人間を理解するために、私たちはさまざまな概念を用います。心理学における認知、感情、行動、性格などの概念は、複雑な人間の経験を整理し、理解するために重要な役割を果たしています。しかし、概念によって人間を説明できることと、その人自身を理解できることは、必ずしも同じではありません。
哲学者テオドール・W・アドルノは、『否定弁証法』(1966年)において、概念と対象との関係を「非同一性」という観点から考察しました。アドルノは次のように述べています。
「弁証法とは、非同一性の一貫した意識である。」(Dialektik ist das konsequente Bewußtsein von Nichtidentität./筆者訳)
私たちは概念を用いることによって対象を理解しようとします。しかし、対象はその概念によって完全に捉えられるわけではありません。例えば、ある人の苦しみを心理学的な概念で説明できたとしても、それによってその人の経験のすべてが理解されたことにはなりません。
むしろ、概念によって何かを理解したと思ったときこそ、そこに捉えきれていないものが残されていないかを問い直す必要があるのではないでしょうか。アドルノの思想は、概念による理解そのものを否定するものではありません。
概念による理解が不可欠であるからこそ、概念と対象を安易に同一視しないことの重要性を示しているのです。また、アドルノの思想には、個人と社会の関係を問い直す側面もあります。人間の苦しみを個人の心理的な問題としてのみ理解してしまえば、その苦しみを生み出している社会的な条件を見落とす可能性があります。
これは、カウンセリングにとっても重要な問題です。クライエントを既存の理論や分類によって理解することには意味があります。しかし、その理解によって目の前の人間のすべてを捉えたと考えてしまえば、かえってその人固有の経験を見失う可能性があります。
アドルノの非同一性は、単に人間が複雑で理解しきれないという意味にとどまりません。私たちが理解のために用いている概念や、その背後にある社会の仕組みそのものを問い直す思想でもあります。人間を理解しようとする営みには、理解できたことだけでなく、なお理解できていないものに目を向け続ける姿勢が必要なのだと思います。

人間を理解するために
現代の心理学は、さまざまな理論と研究方法によって発展してきました。その成果は、人間の行動や心理的な問題を理解し、支援するための重要な基盤となっています。
一方で、実際の人間は、認知、感情、行動、身体、環境といった要素に明確に分割されて存在しているわけではありません。私たちは、それらが複雑に関係し合う中で生活しています。
学問が対象を分析するために区分を設けることは必要です。しかし、分析のための区分を、そのまま人間の存在の区分であるかのように考えてしまうと、大切なものを見失う可能性があります。
カウンセリングにおいても、特定の理論や技法に従って相手を理解しようとするだけでは、その人固有の経験を十分に捉えられないことがあるでしょう。もちろん、一人のカウンセラーが身体、環境、社会制度に関わるすべての問題を解決できるわけではありません。
しかし、解決できる範囲が限られていることと、人間を理解しようとする範囲を限定してよいことは、別の問題です。必要に応じて他の専門家や組織との協働を考えることも、人間をより広い関係の中で理解しようとする姿勢の一つだと思います。
心理学は、人間について多くのことを明らかにしてきました。哲学は、その知識が何を意味するのか、私たちは何を前提として人間を理解しているのかを問い直します。そしてカウンセリングは、こうした知識と問いを抱えながら、目の前の一人の人間と向き合う営みです。
心理学と哲学を接続する意味は、過去の学問的な関係を振り返ることだけにあるのではありません。私たちは人間の何を理解しているのか。そして、何をまだ理解していないのか。この問いを持ち続けることこそが、人間を理解しようとする営みの出発点なのではないでしょうか。
人間を理解するために、人間を分解することは必要かもしれない。しかし、分解されたものを理解することが、人間を理解することと同じではない。
参考文献
Husserl, E. (1900–1901). Logische Untersuchungen(『論理学研究』).
Merleau-Ponty, M. (1945). Phénoménologie de la perception(『知覚の現象学』). Gallimard.
Heidegger, M. (1927). Sein und Zeit(『存在と時間』). Max Niemeyer.
Rogers, C. R. (1957). The necessary and sufficient conditions of therapeutic personality change. Journal of Consulting Psychology, 21(2), 95–103. https://doi.org/10.1037/h0045357
Gendlin, E. T. (1978). Focusing. Everest House.
Gendlin, E. T. (1993). Three assertions about the body. The Folio, 12(1), 21–33.
Gendlin, E. T. (1997). A Process Model. The Focusing Institute.
Adorno, T. W. (1966). Negative Dialektik(『否定弁証法』). Suhrkamp.
※引用文の日本語訳は筆者訳です。フッサールの「事象そのものへ!」は現象学を代表する標語として紹介しています。
樋口力敏
(株式会社東京アライアンスアドバイザリー 代表取締役/中小企業診断士/産業カウンセラー)